2009年 01月 22日
PLAY BACK 2008-Ⅴ
|
【PART Ⅲ~おじちゃんとクウちゃん―Ⅱ】
―2008年5月某日
クウちゃんのおじちゃんが亡くなった
クウちゃんを後妻さんに迎え、
伴兵衛と弥生にご飯をあげて可愛がってくれたおじちゃんが、遂に還らぬ人となった。
ゴミの分別が細分化され、毎回困った顔で、
「Keiちゃん、これは今日捨てられる?」
「あー。おじちゃんそれはダメだわ。よけといてくれたら今度捨てとくよ!」
なんて、なんてことのない会話も、もう二度と出来ない。
我が家の地域では、自宅から旅立った場合、ご近所皆で見送るという風習が有る。
そこで、洗濯ネットから頭だけ出し、バスタオルでぐるぐる巻きにして、クウちゃんも連れていくことにした。
本当なら、お通夜も告別式も出してあげたいくらいだけど、そうもいかない。
大好きなおじちゃんと、お別れさせてあげるには、これが最後のチャンス。
クウちゃんの姿を見つけると、ご近所さんは口ぐちに、
「Keiちゃん、クックちゃんのお世話してるんだって?」
「クックちゃん、良かったねぇ」
―クックちゃんとは、ご近所でのクウちゃんの愛称である。
おとなしく抱かれていたクウちゃんだが、
車に納められ、おじちゃんが愛したこの地を出発する時に、
二度。
「ニャ、ニャ」と、鳴いた。
皆、びっくりして、
「鳴いたねぇ~わかるんだねぇ~」
と関心するばかり。
私は、涙をこらえるのに必死だった。
クウちゃん、ちゃんとお別れしたのかな?
お話したのかな・・・?
ーーーーーーーーーー
おじちゃんのお通夜、告別式と、慌ただしく時は過ぎ。
いよいよこちらも仮住まいへの引っ越しと相成った。
おじちゃんの壮絶な最期を看取った娘さんの心中は、察するに余りあり。
クウちゃんはしばらく我が家で預かることになっていた。
てんやわんやの引っ越しにもめげず、
クウ姫、仮住まいでのワンショット
「狭いわね・・・」
相変わらず、我が家の獣どもも、弥生のゆく先々にはパンチを見舞うくせに、
クウちゃんは完全なるフリー・・・・。
なんでだろ・・・・?????
「苦しゅうない」
これは、ソファで昼寝していた母ちゃんの脚元。
クウちゃんは、食が細い。
というか、ほとんど食べない。
腎臓が相当悪く、何度も入院していたらしい。
お預かりするにあたり、その辺もお話したが、特に病院へは連れてゆかなくて良い。
在るようにあれば、その通り受け入れるから、ということであったので、
食べてくれるものを、少しずつ食べて頂くというスタンスで。
そして、おじちゃんちでは、大きな樽からお水を飲んでいた
ので、風呂場にボウルを常設してみたり、
ふわふわの毛皮の下のガリガリの身体をなでてやったり、
老猫と暮らすのは、こういう穏やかな日々の積み重ねであるのだな、と。
そんなことを感じながら、狭いながらも平和に過ごしていた。
そんな2008年夏。
伴兵衛が男前にこの世を去り、暫く経った頃。
クウちゃんが立てなくなった。
立ち上がろうとすると、ヨロっとへたり込んでしまうのだ。
いくら、病院へは行かなくて良い、と言われていても、伴兵衛を亡くして間もない母ちゃん、
クウちゃんにまで万が一の事が有ったら、おじちゃんにも、娘さんにも顔向けが出来ない!!
と、小さな小さな、軽い軽いクウちゃんを目の前の病院に連れてゆくと、
「時間の問題かもしれません」
と。
実際、腎不全を起こしていて、視点も定まらず。
目が、揺れている。
足腰も立たない。
事情を説明すると、センセは、早めにご家族に連絡してください、と。
娘さんご夫婦は、すっ飛んできてくれた。
気持ちの整理がつかず、ずっと預けっぱなしで申し訳ない、ありがとう、ありがとうと、
何度も頭を下げ、
「最後くらいはきちんと面倒看ます」と、
多額のお礼と、猫缶をお土産に置いて、クウちゃんを連れて帰った。
娘さん宅に引き取られてから、
クウちゃんは回復し、歩き回り、あちこちにしっこの粗相をしまくり(^^;
メールであれやこれやとやり取りをしながら、猫生最後のわがまま姫になっているクウちゃんに目を細めていた。
>娘さんは、それはそれは大変だったと思うが
そして、秋。
2008年10月14日。
娘さんからメールが来た。
「虫の息です」と。
ただ、ご夫婦いはく、
最期の受け入れ方が堂々とし、尊厳の有る態度である、と。
かくして、12年の猫生を全うし、クウちゃんは天に召された。
おじちゃんとの生活から一転、最後に3度も引っ越すハメになったが、
彼女のことだ、これもまた定め、と悟っていたのかもしれない。
今は、主無きおじちゃんのお庭に眠っている。
定春の散歩のときに、道路側からそのお墓に「クウちゃん」と、声をかけている。
―仮住まいにて、新八と添い寝のクウちゃん
―「ちょっとおなかすいたけど・・・?」
―おじちゃんと一緒に寝ていたベッド
―帰りを待っていたのかな、いつもじっと見つめていた、お外
クウちゃんは、粗野な我が家の子らと違って、なんだか気品が有った(笑)
ご飯?いらないわ~
とか、お水?いただくわ~とか。
わがままも、すべて許せる、そんな子だった。
最後のちょびっとだけ、彼女の猫生に関わらせてもらったが、
なんだか、今思い出しても。
心地よい風がすり抜けていったような、そんな柔らかい思い出だ。
―バイバイ、クウちゃん。
おじちゃんと会えたかな?
―実は。
我が家には、2008年夏の疑惑、が有る。
クウちゃんを迎えにきたおじちゃんが、
間違って、伴兵衛と銀ちゃんを連れて行っちゃったんじゃない?って(笑)
だって、耳遠かったし。人の話聞いてくれなかったし。
「クウ?クウだろ?ほれこっちおいで」
「いや、おれ、伴兵衛っつーんですけど」
「いーから、ほれ、おいで」
「・・・?は、はぁ・・・」
なんて、ね・・・(笑)
おじちゃん、そちらでの黒猫部隊の面倒、しばらくお願いしますね(^^
―2008年5月某日
クウちゃんのおじちゃんが亡くなった
クウちゃんを後妻さんに迎え、
伴兵衛と弥生にご飯をあげて可愛がってくれたおじちゃんが、遂に還らぬ人となった。
ゴミの分別が細分化され、毎回困った顔で、
「Keiちゃん、これは今日捨てられる?」
「あー。おじちゃんそれはダメだわ。よけといてくれたら今度捨てとくよ!」
なんて、なんてことのない会話も、もう二度と出来ない。
我が家の地域では、自宅から旅立った場合、ご近所皆で見送るという風習が有る。
そこで、洗濯ネットから頭だけ出し、バスタオルでぐるぐる巻きにして、クウちゃんも連れていくことにした。
本当なら、お通夜も告別式も出してあげたいくらいだけど、そうもいかない。
大好きなおじちゃんと、お別れさせてあげるには、これが最後のチャンス。
クウちゃんの姿を見つけると、ご近所さんは口ぐちに、
「Keiちゃん、クックちゃんのお世話してるんだって?」
「クックちゃん、良かったねぇ」
―クックちゃんとは、ご近所でのクウちゃんの愛称である。
おとなしく抱かれていたクウちゃんだが、
車に納められ、おじちゃんが愛したこの地を出発する時に、
二度。
「ニャ、ニャ」と、鳴いた。
皆、びっくりして、
「鳴いたねぇ~わかるんだねぇ~」
と関心するばかり。
私は、涙をこらえるのに必死だった。
クウちゃん、ちゃんとお別れしたのかな?
お話したのかな・・・?
ーーーーーーーーーー
おじちゃんのお通夜、告別式と、慌ただしく時は過ぎ。
いよいよこちらも仮住まいへの引っ越しと相成った。
おじちゃんの壮絶な最期を看取った娘さんの心中は、察するに余りあり。
クウちゃんはしばらく我が家で預かることになっていた。
てんやわんやの引っ越しにもめげず、
クウ姫、仮住まいでのワンショット
「狭いわね・・・」
相変わらず、我が家の獣どもも、弥生のゆく先々にはパンチを見舞うくせに、
クウちゃんは完全なるフリー・・・・。
なんでだろ・・・・?????
「苦しゅうない」
これは、ソファで昼寝していた母ちゃんの脚元。
クウちゃんは、食が細い。
というか、ほとんど食べない。
腎臓が相当悪く、何度も入院していたらしい。
お預かりするにあたり、その辺もお話したが、特に病院へは連れてゆかなくて良い。
在るようにあれば、その通り受け入れるから、ということであったので、
食べてくれるものを、少しずつ食べて頂くというスタンスで。
そして、おじちゃんちでは、大きな樽からお水を飲んでいた
ので、風呂場にボウルを常設してみたり、
ふわふわの毛皮の下のガリガリの身体をなでてやったり、
老猫と暮らすのは、こういう穏やかな日々の積み重ねであるのだな、と。
そんなことを感じながら、狭いながらも平和に過ごしていた。
そんな2008年夏。
伴兵衛が男前にこの世を去り、暫く経った頃。
クウちゃんが立てなくなった。
立ち上がろうとすると、ヨロっとへたり込んでしまうのだ。
いくら、病院へは行かなくて良い、と言われていても、伴兵衛を亡くして間もない母ちゃん、
クウちゃんにまで万が一の事が有ったら、おじちゃんにも、娘さんにも顔向けが出来ない!!
と、小さな小さな、軽い軽いクウちゃんを目の前の病院に連れてゆくと、
「時間の問題かもしれません」
と。
実際、腎不全を起こしていて、視点も定まらず。
目が、揺れている。
足腰も立たない。
事情を説明すると、センセは、早めにご家族に連絡してください、と。
娘さんご夫婦は、すっ飛んできてくれた。
気持ちの整理がつかず、ずっと預けっぱなしで申し訳ない、ありがとう、ありがとうと、
何度も頭を下げ、
「最後くらいはきちんと面倒看ます」と、
多額のお礼と、猫缶をお土産に置いて、クウちゃんを連れて帰った。
娘さん宅に引き取られてから、
クウちゃんは回復し、歩き回り、あちこちにしっこの粗相をしまくり(^^;
メールであれやこれやとやり取りをしながら、猫生最後のわがまま姫になっているクウちゃんに目を細めていた。
>娘さんは、それはそれは大変だったと思うが
そして、秋。
2008年10月14日。
娘さんからメールが来た。
「虫の息です」と。
ただ、ご夫婦いはく、
最期の受け入れ方が堂々とし、尊厳の有る態度である、と。
かくして、12年の猫生を全うし、クウちゃんは天に召された。
おじちゃんとの生活から一転、最後に3度も引っ越すハメになったが、
彼女のことだ、これもまた定め、と悟っていたのかもしれない。
今は、主無きおじちゃんのお庭に眠っている。
定春の散歩のときに、道路側からそのお墓に「クウちゃん」と、声をかけている。
―仮住まいにて、新八と添い寝のクウちゃん
―「ちょっとおなかすいたけど・・・?」
―おじちゃんと一緒に寝ていたベッド
―帰りを待っていたのかな、いつもじっと見つめていた、お外
クウちゃんは、粗野な我が家の子らと違って、なんだか気品が有った(笑)
ご飯?いらないわ~
とか、お水?いただくわ~とか。
わがままも、すべて許せる、そんな子だった。
最後のちょびっとだけ、彼女の猫生に関わらせてもらったが、
なんだか、今思い出しても。
心地よい風がすり抜けていったような、そんな柔らかい思い出だ。
―バイバイ、クウちゃん。
おじちゃんと会えたかな?
―実は。
我が家には、2008年夏の疑惑、が有る。
クウちゃんを迎えにきたおじちゃんが、
間違って、伴兵衛と銀ちゃんを連れて行っちゃったんじゃない?って(笑)
だって、耳遠かったし。人の話聞いてくれなかったし。
「クウ?クウだろ?ほれこっちおいで」
「いや、おれ、伴兵衛っつーんですけど」
「いーから、ほれ、おいで」
「・・・?は、はぁ・・・」
なんて、ね・・・(笑)
おじちゃん、そちらでの黒猫部隊の面倒、しばらくお願いしますね(^^
by Nayantaro
| 2009-01-22 15:52